KATO Nゲージスタートガイド

写真:川崎大輔 JR東日本商品化許諾申請中 製品化協力:アタゴール
夢空間
Yume-Kukan
<夢空間>は、近未来の新たな寝台特急のあり方を目指して平成元年(1989)3月に登場した豪華客車です。1両1両が異なる製造所・有名百貨店によってデザインされ、そのラグジュアリーで特別な姿は今なお多くの鉄道ファンの記憶に残っています。
KATOでは、日本の寝台列車の歴史を語る上で欠かせないこの<夢空間>をHOゲージで製品化。HOゲージだからこそ実現できる加工技術や表現を駆使し、実車の持つ豪華なインテリアの魅力も余すところなく再現いたします。
夢空間ものがたり
北斗星の成功、描かれた夢
JR発足後の昭和63年(1988)3月、青函トンネル開通にあわせて寝台特急「北斗星」が登場しました。東京と北海道が1つの列車で結ばれ、さらに個室寝台や食堂車、ロビーカーといった設備を持つ豪華寝台列車は大きな話題を呼び、「北斗星」は瞬く間にJR東日本の花形列車となりました。世間の好景気も相まって、JR東日本では新規車両製造の機運が高まりました。「北斗星」用車両は、JR東日本発足からわずか1年半たらずの間に従来車両の改造で製作されましたが、今度は一から存分に腕を振るって新造車両を作りたい、という夢が描かれたのです。
時を同じくして、平成元年(1989)は「みなとみらい」と名付けられた横浜港内で「横浜博覧会(略称:YES ’89)」と呼ばれるイベントの開催が予定されていました。JR東日本はそこで「近未来の寝台列車」を出展することが決まり、いよいよ‟展示物”としての24系25形900番台が製造されることになりました。

夢を、かたちに
<夢空間>は、JR化後唯一の完全新製された24系客車でありながら、展示物としてのデビューを果たすという極めて稀な出自をもって誕生しました。当初は素材や造形に自由度が増すモックアップでという案もありましたが、「夢の列車」が実際にJRの線路を走るということが重視され、半年間の展示の後は、人気の高い「北斗星」へ投入することを前提として車両設計を着手しました。
実際の線路での走行を考慮し、走行系機器や電気回路といった基本構造は24系25形と共通化しながらも、シティホテル並みの設備を持つA個室「デラックススリーパー」、乗客の交流や憩いの場となる「ラウンジカー」、最後尾の展望を楽しむレストラン「ダイニングカー」3両の車種構成に決定しました。

新たな寝台特急、夢の列車というコンセプトに相応しく、3両はそれぞれ異なる製造所に発注、内装デザインもそれぞれ異なる有名百貨店が担当することになりました。ピアノやバーカウンター、アールヌーヴォー風のデザインやステンドグラスなど、最上級のしつらえが用意されました。ちょうど前年の昭和63年(1988)には、世界的に有名な豪華列車である<オリエントエクスプレス>がパリから大陸を越え日本への上陸をはたし、夢空間の内装デザインにも影響を与えたとも言われています。



夢が、動き出す
残念ながら諸事情により、横浜博覧会の会場内での展示は実現しませんでしたが、新造された3両の24系25形客車は、同時期に桜木町の駅前広場で開催のイベント「夢空間’89」で展示されることになりました。会場には仮設のプラットホームが設置され、各車両が見学でき、ダイニングカーは実際にレストランとして営業されました。この時のイベント名から、この3両の24系客車が<夢空間>と呼ばれるようになりました。
「夢空間’89」展示後初の営業運転は同年10月の「世界鉄道会議」の来賓を乗せる団体臨時列車でした。平成3年(1991)には、一般の臨時列車(「北斗星トマムスキー」)としての営業運転も開始。以降「北斗星」への連結を中心に、観光やスキーシーズンの首都圏~北海道での運行を担いながら、時には山陰や九州などにも顔を出し、平成20年(2008)の引退まで多くのファンや旅行者からの人気を博しました。
ー思い出の<夢空間>ー
趣味を広げる鉄道アプリ「Rail-Navi」を通じて皆さまから頂いた夢空間の“思い出写真”をご紹介します。
<61レ様>

写真:61レ

写真:61レ

写真:61レ
▲高崎線を走る<夢空間>
<ma-kn2様>

写真:ma-kn2

写真:ma-kn2

写真:ma-kn2
▲山陽本線を走る<夢空間>
<かずけん様>


写真:かずけん
写真:かずけん
▲カニ24 100番台を連結した<夢空間>